2025年 3月 ウルグアイ旅行とパイロット人生の転機
昨年、法人会員として入会していただいたジェットパイロットの野口武彦さんが投稿してくださいました。野口武彦さんについては、ブルージェットのホームページをご覧ください。http://www.bluejet.co.jp
2025年3月6日から10日間、ウルグアイを訪れセスナ機で空を楽しみました。この旅は、過去5年間の多くの困難と挑戦を経た後の、自分自身を見つめ直す時間となりました。コロナの流行、両親と親友の死、そしてそれとは対照的に、カテゴリー別に最高峰の飛行機への挑戦を続け、ウクライナ戦争の影響でアメリカからロシアを飛行できない状況下でも世界一周の夢を達成し、ホンダジェット教官としても成果を上げた時期でした。朝日新聞社のパイロット兼社会部記者を辞めてリスクを覚悟で独立してから26年。ニューヨーク経由で見た南アメリカ大陸は、別の惑星に来たような景色でした。小型機のパイロットとして35年のキャリアを持ちながらも、南アメリカ大陸での飛行は初めての体験でした。
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モンテビデオ国際空港では、私の得意とするセスナ機を借りることができました。航空無線が通常の英語ではなく、数字などがスペイン語で交わされる状況は、ポルトガルやスペインを飛んだ時よりも困難で新鮮な体験でした。地上滑走中に見た古いターミナルは、1972年10月のウルグアイ空軍機遭難事故を思い起こさせ、映画「生きてこそ」を見た記憶と重なり感慨深いものがありました。ウルグアイの空は海岸からの風が強く、晴れの日は良好な視界が得られますが、悪天候時には平坦な地形特有の雲が広がり、大きな大気の循環を感じました。モンテビデオへ向かって海岸線を飛ぶと、遠くにアルゼンチンが見え、上空からはワールドカップのサッカー場も眺められました。町並みは「南米のスイス」と呼ばれるだけあり、独特の雰囲気と北に広がる広大な草原の穏やかさを感じました。
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空港には驚くことに、私がアラスカで大切に所有している1941年製ノースアメリカンT-6戦闘練習機と同型機があり、飛行訓練が始まるところでした。別の格納庫にはホークランド諸島への医療緊急患者搬送用のリアジェット55やフェアチャイルドメトロなど、製造終了した名機が大切に整備され運用されている様子に感動しました。モンテビデオ市街の墜落事故博物館では、1972年の遭難事故に関する資料を見学し、事故に関わる「13」という数字の不思議な一致に興味を持ちました。私自身も数字へのこだわりがあるため、この偶然に驚きました。当社の秘書として採用したウルグアイ出身のヒメナの誕生日も、米国最古の飛行機レースで優勝した日と、親友が墜落事故で亡くなった日と一致していたのです。アメリカの航空界では南アメリカ出身者やアジア人に対する差別を感じてきました。整備士にはなれても、最上級のパイロットになるのは難しい世界です。政治的に中立で平和的なウルグアイ出身のヒメナを秘書に迎えたことは、アメリカでの再挑戦にも適切な判断でした。
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ウルグアイでは家族のように暖かく迎えられ、海と草原が広がる風景、自由に暮らす家畜、日本とは異なる明るさを持つ人々、そして家族や友人を大切にする文化に触れ、日本社会の核家族化を振り返る機会となりました。最も美味しかった料理はヒメナの兄が焼いてくれたアサドで、チビートの味も忘れられません。BOUZAワイナリーで味わったメルロとタナントのブレンドワインの素晴らしさも印象に残りました。2023年の事故で亡くなったチャンピオンの「英語とスペイン語をもっと勉強して世界に挑戦しろ」という言葉を胸に、2024年のクリスマスにはアメリカから独立記念日や2028年ロサンゼルスオリンピックの記念飛行やレース参加への招待を受けました。現在、HONDAは1人操縦可能な世界最高峰のジェット機「ホンダジェットエシュロン」を開発中で、試作製造が始まっています。帰国後、アメリカ・ハリウッドに保管されていた戦闘機の売買契約に署名しました。2028年には私が代表を務めるJALより歴史ある東京航空株式会社が創業100周年を迎え、同年にはホンダジェットエシュロンの販売も開始予定です。これからの活動の背景には、ウルグアイ出身の秘書ヒメナの存在があることを多くの方に知っていただきたいと思います。






