2024年 8月29日 独立記念日のお祝い

8月29日(木)19:00、ANAインターコンチネンタルホテルにて、ウルグアイ大使館主催のウルグアイ独立記念日(1825年8月25日)のお祝いの会が催されました。日本ウルグアイ協会の会員も招待され、10数名が出席しました。当日はフランコリーノ大使のご挨拶、外務省の方の祝辞があり、おいしいウルグアイビーフとワインが振る舞われました。

フランコリーノ大使のご挨拶
ウルグアイの経済を支える主な産業は農牧林業とIT関係ですが、特に牧畜が盛んです。人よりも牛や羊の数の方が遥かに多く、世界で最も牛肉を食べる国の一つと言われています。国民一人当たりの年間牛肉消費量は日本の7倍以上で、旧市街にある港市場にはたくさんのステーキハウスが軒を連ねています。中国、アメリカ、EUに多く輸出されています。日本への輸入は2000年10月に口蹄疫の発生が確認されて以来長く停止されていましたが、2019年に解禁され、2022年10月からは牛タンの輸入も解禁になりました。お陰で、出席した私たちもウルグアイビーフを使った様々な美味しい料理を堪能することができました。

厨房

ウルグアイを代表するワイン

ここで、ウルグアイ東方共和国の独立までの歴史を簡単に掲載します。( 独立以降については、後に掲載予定

ウルグアイ「発見」~独立(1516-1825)

1516年、スペイン人のソリスがウルグアイを発見したとされています。1680年、ブラジルを植民地支配していたポルトガル人によりウルグアイ最初の都市コロニア・デ・サクラメントが建設されました。同市はラ・プラタ川を挟んだアルゼンチンの首都ブエノス・アイレスの対岸に位置しており,ブエノス・アイレスに植民地を築いていたスペイン人がコロニア・デ・サクラメントの領有権を主張、ポルトガルから支配権を奪うに至り、その後もポルトガルとスペインの間でコロニア・デ・サクラメントを含むウルグアイ一帯の領土を巡って領有権争いが続きました。1724年、スペイン人によりウルグアイの首都となるモンテビデオが建設され、要塞が築かれました。肥沃な牧草地と良好な自然条件にも恵まれ,農牧・畜産が主要産業へと発展していきました。1776年、当時まだバンダ・オリエンタル(東方部の意)と呼ばれていたウルグアイはラ・プラタ副王領に編入され、翌1777年、ポルトガルはスペインによる同領土の支配を認めるに至りました。
19世紀に入り、ヨーロッパでナポレオン戦争が勃発すると、アメリカ大陸におけるスペインの支配が弱体化し、ラテンアメリカ各地で独立運動が始まりました。アルティガス将軍率いるウルグアイも、1811年にアルゼンチンの支援を得てスペインに対する独立運動を開始しました。これに対してスペインの駐屯軍がブラジルにいたポルトガル軍に援助を求め、ウルグアイはポルトガル軍に制圧され、1820年アルティガスはパラグアイに亡命しました。翌1821年にはウルグアイはブラジル領に組み入れられましたが、1825年、アルゼンチンに亡命していた33名のウルグアイ人がラバジェハ将軍を先頭にモンテビデオを奪回し、同年8月25日独立を宣言するに至りました。